自分の中で、何かが解放されたかもしれないラフらふ。
本人が言うほど、端見からしたら大差ないよね(・ω・n)
このところ、自分の最近の絵、過去絵、人様の絵、挙げ句自分で作ったなんちゃってお絵描き講座とか、何度も何度も見てた。
自分の絵ってなに?
自分の絵の特徴、売りってなに?
イラストって、漫画ってなに?
定期的に迷走しはじめるのはいつものこと(っ・ω・c)
それはきっと創作する者の常だと思うので仕方がない。
やっと気付いたのだけど、もしかしたら自分は自分で作ったお絵描き講座にいつの間にか拘束されていたのかもしれない。
作家業してると、誰もが陥る罠(・ω・)b
「目が綺麗ですね!」「目が特徴的ですね!」
ホメ言葉ですね。
自分でもその部分に拘っていたりするとき、そこを評価されると嬉しくなる(´▽`)実はこのとき同時に自由度を失っていることに気付かない。
だんだんと「それがないと自分じゃない?!」って気がしてきて、それを中心に物を考えるようになったりしはじめて、確かにその1点はその後も評価されるかもしれないけれど、ただそれだけの人になってしまう。
頭で理解してても、陥る罠でし(っ・ω・c)、
そんな事は百も承知なので、ときどき自分を壊すようにして、1つの事に固執しないようにしてはいるのですが、まさか無意識に、自分で作った動画に縛られているとは気付いてなかった。
ニコニコ動画にUPした、お絵描き講座-頭部編。
あれは「1つの製作例」「1つの比率の例」であって、あれが全てでは当然ない。世の中には色々なバランスの絵が存在しているし、作家の数だけ微妙に差があると言ってもいい。
実は一人の作家の中ですら、バランスなんて毎回一緒じゃない。
そんな当たり前なことなんだけど、いつの間にか、自分で作った講座だけに、自分の絵のバランスとして、アレじゃないと嘘な気がしてきて、気が付けばなるべくそれに則るような描き方をするようになってた。
あの描き方は、どちらかといえばデフォルメがきいたときの1例だし、また普段はあんな描き方をしないことの方が多かった。しかし、形を取りにくい絵のときや、イマイチ勘が働かなかったときに基本として使うっていうあくまでも基本的な物。「基本」と「良さ」は必ずしも一致しない。
感情を込めて物を創るとき、決められた基本バランスに則って形を置くなんて、ナンセンスだとおもう。
なのに縛られてたことに気付いた……0(U3っ)っ
でもあれが間違いじゃないんです。
でもあれは1つの例なんです。
その1つの例に自分もたった1つになってた。
そんなことをちょっと忘れ、昔々に自分が描いてたやり方を思い出しながら絵を描いてみた。大差はない……大差はないけど、なんか、ああ……って気がした。
頭大きいとか、
漫画とかで量産苦しいとか、
漫画には不向きな絵とか、
そういう問題は拭えないけど、ちょっぴり解放された気がした。でもちょっぴりなので、今後どうだかはわからないけど、でもちょっぴりでも気付いて良かった。
と、いうことを自分に再確認させるために文章化しただけのだらだら日記でした(`・ω・´)完!